ブログに寄せられたコメントとのやりとりをそのまま掲載します。

「なぜニュースにならない?最高裁判決」
 7月12日、最高裁は教員の超過勤務を放置してきた京都府に対する損害賠償請求に、「校長の明示の命令がない」「教員が自主的に行ったもの」として、上告棄却を言い渡しました。
 組合は不当判決として判決を批判していますが、不思議なことに全く報道されていないのです。わたしは、たまたまこの話題をtwitterで知ることになり、早速地元教育関係者に問い合わせても全く話題になっていないようでした。協力を得てウェブ上から情報を得ましたが、ニュースサイトではその話題を探すことができませんでした。いったいどうなっているのでしょうか。
 判決分を拝見しましたが、一方的に最高裁判決を押しつける気持ちにはなりませんでした。ネット上では、なし崩しに超過勤務を強いている現場の様子もうかがえるからです。超過時間による一律の手当支給はできないことが法律で決められているものの、現場からの悲鳴も無視することはできないように思います。今後様々な意見を聞きながら、私なりの考えをまとめたいと思います。
(参考資料が見られます)
http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20110712163420.pdf
http://ono-blog.cocolog-nifty.com/sikou/2011/07/post-147a.html

(匿名)
う〜ん…
何を仰りたいのでしょうか…
教師の超過勤務や時間外労働
法で定められた休憩時間すらとれないのは
もはや、学校では当たり前で
そんなことに目くじらを立てていたら
高い給料をもらっているんだから
文句があるなら辞めてしまえ!と言われるだけでは…
教師は我慢するしかないないんですよ
それが議会でも、行政(道教委)でも当たり前だから
何の改善策もとらないんですよね?

(藤沢澄雄)
ひとつは、なぜ報道されないのか?
二つに、いろいろな立場のひとの意見を聞いてみる必要があると思っている
と、言うことです。
教師は我慢するしかないので良いのか?
また、それが他から観ると我慢の限界に達している程度なのかどうか。
その辺の検証をしたいと思いますね。

現場や当事者からの苦情は無くらならいものです。それを封じ込めるのではなく、さまざまな意見を参考にしてひとつの妥協点を見いだすのが政治だと思います。

(匿名)
現場の教師の悲鳴が議会や行政には届かない?聞いていない?から、現場の教師は諦めてるんですよ…
議会も行政も学校現場の教師にしてみたら、はっきり言って敵なんですよ…
現場の声を聞くとか言ったって、管理者や市町村教委の担当者なんですから
本当の現場の声なんて、議会や議員には届きませんよ
本当の現場の声を聞く気があるなら、管内の学校現場を一つ一つ丁寧に回って
教師から直接話を聞くくらいのことをして欲しいですね…

(匿名)
教育問題は学校の実情を知らなくても、あれこれ言えるんですよね。
学校の実情をつぶさにリサーチして、問題の本質を洗い出してる人(議員)の方が稀であって、どこかで聞きかじったことを、さも自分が見聞きしたことで、あたかも、それが全ての学校の実情のように話し、教員バッシングをする・・・。
自分は教員ですが、子どもには絶対に教員にはなるな!と言ってますよ・・・。
苦労して、苦労して、その上、何も知らない人たちから、謂われのないバッシングを受けて、それでも生徒たちの前では笑顔を絶やさず、身を粉にして働く・・・。
本当に子どもたちのことが好きでなければ、やっていられない仕事です・・・。

(藤沢澄雄)
現場の声が聞こえないからか、聞いていないからなのか?聞いていないつもりはないのですが、言い訳はしません。私は淡々と事実を判断したいと思います。
但し、議会も行政も「敵」と言っているうちはなかなか理解が得られるのは難しいかもしれませんね。子どもにも同じように教えられるのですか。
そういえば組合の資料を見ても「闘争」「闘い」の言葉が目立ちます。学校現場を見て回るべきと言われますが、それも否定しません。しかし、道教委の指導主事が学校現場に行くことを頑なに拒否するようなことを聞きましたが・・・そのような雰囲気は絶対にないと断言できますか?
教師の身になって考えることも必要ですが、一方で、客観的に他の職業と対比する意味で、外からの視点も必要だと思います。
また、私の批判は概ね教師個人というよりも、「組合」の姿勢に関してのつもりです。
それにしても、教師が子どもたちに「教員になるな」と言うということは、とても不幸せなことだと感じました。「苦労して・・・・身を粉にして働く・・・」とおっしゃられても、教師という職業に誇りはないのですか?と疑問に思ってしまいました。
決して意見をするつもりはありませんが、(私個人の感情として)自分の仕事を否定するひとの要求よりも、プライドをもつひとの前向きな要求のほうが、伝わりやすいように思います。

(Nioi)
では、お言葉ですが、藤沢道議は味方ですか?
北教組をかなり敵対視しているようですが、そもそも教職員組合は自分たちの生活を守ることと同時に学校・子どもを守ることの両輪で運動しています。
これこそ北教組プライドです。
現状、そんな北教組に対して、道教委へ不当労働行為まがい(まがいではなく事実ですね。そういう命令も出ましたね。)の行動を促しているのも自民党の皆様ですよね。
敵と呼ばれたくなければ、もう少し民意を得る行動を期待します。
あくまで、この発言は北教組組合員としてですが。
一教職員としては敵とは呼びません。もちろん子どもの前では特に。
誰かを敵対視して生きるような人間にはなってもらいたくないので。

(藤沢澄雄)
北教組を敵対視しているかどうか・・・何度も言いますが、組織の方針や活動内容に政治的な要素が多く、とても容認する気にはなれませんが、「敵」・「味方」のような構図では見たことはありません。教師も一道民です。その意見や考えを聞く発想は持っています。
ルールを守らない教員組合が「子どもを守る」・・・理解できません。
今回の調査に関して、先の定例会の一般質問で「不当労働行為ではないと」答えていただきました。文部科学省も調査を指示していたのです。
また、「敵と呼ばれたくなければ、もう少し民意を得る行動を期待します。」と言われますが、私に寄せられる北教組への批判も「民意」です。その活動方針を見たら、道民の多くは賛同するでしょうか?卒入学式、国旗・国歌、校外研修、勤勉手当の評価、心のノートなど・・是非公開してください。
「誰かを敵対視して生きるような人間にはなってもらいたくないので。」わたしも同感です。ですから、敵対視しない生き方、道議会議員としてのスタンスをとっています。他党とも政策議論は徹底的に行いますが、人間を敵対視したりすることはしていません。