名古屋市では、市議会リコールの住民投票が行われる見通しとなったが、ことの原因を考えたとき、道議会としても決して他人事ではない。

 ひとつには議員報酬。高いと言われるが、どのくらいが妥当なのでしょう。私の主張する「誰でも、仕事を中断して4年の任期を議員に専念することができる環境」には、それなりの報酬が必要と考えます。河村市長は既得権や議席の継承(世襲)が続き、改革が進まないと言っているようですが、報酬を半減すると、逆に特定の余裕のある人や組織丸抱えの人しか議員になれないことになってしまわないでしょうか。
 次に、議員の役割。二元代表制を有権者はどう考えるか?首長の追随機関と見なされていることが、議員の役割を感じさせない風潮となっているのかもしれません。ただし、議会は首長の暴走を止める役割も担ってきたはずです。しかしマスコミも誰もそれを評価しません。私は無責任な批判だと思います。ただし、議員ひとりひとりが有権者に発信、説明する作業が不足していることは否めません。
 河村市長は自分の主張が通らないからと、率先して議会解散をもくろみ、自分派の議員の擁立を考えているとか?要するに、議論をする場である議会の役割を認めず、自分のやりたいようにやれる土壌を作ることを考えているのでしょう。それは正義とはいえない。単なる権力闘争に過ぎないと私は思います。

 以下、この度の騒ぎについて。
 市長辞任。出直し選挙は経費の無駄ではないのか?との意見があまり聞こえてきません。なぜでしょう?任期を全うするべきではないかと私は考えます。
 TVでのコメントから、選管は議員の天下りとの批判。ボランティアでとの意見もありましたが、それで公正が保たれるのでしょうか?無責任な批判だと思います。これまでは議員OBが選管委員に成ることに異論は無かったはずなのに、なぜ今?ではどのような人が適任だと言うのでしょう?(この度の判断とは切り離して)

 日当制など専業ではない議員を求める声もありすが、そうなると首長有利になることは間違いありません。正しく追随機関に成り下がるでしょう。マスコミによる批判もけっこうですが、それではどのような議員像をイメージしているのか?私はなかなか想像できないのです。

 議員の地位も報酬も低くし、フリーハンドな活動すら認めたがらない風潮では、責任と自覚、そしてノーブレスオブリージの精神を持った議員は現れにくいだろうと思います。ただし、鶏と卵の関係かもしれませんね。
 現職議員として、数々の批判に対して、真摯に聞く耳を持ちたいと思います。

北海道議会議員 藤沢澄雄