ある新聞の論説委員は、先の総選挙の比例に「支持政党なし」という名の「政党」が、北海道内で10万票を獲得した事を例に、「既存政党が有権者の期待に応えられていない象徴的な出来事」と大学院教授のコメントを紹介している。 
 そうかもしれない、しかし、政党が全ての民意をくむことはできない。さらに合議制により一つの意見にまとめることで妥協も生ずる。それをして代議員制なのだ。紙面で説明するようなネット投票の結果を法案賛否割合に反映するという“直接投票”は一見民意を反映しているように思えるが、それは初めから「政策を持たない」と言うように、あくまでも「与党に対する批判」の存在でしかない。つまり責任を持つことは初めから考えていないということだ。与党に対する反対の意見の受け皿としてはその可能性は認めつつも、政治の「責任」ということを考えた場合、決して健全なものではないと私は思う。
 コラムの趣旨は政党が有権者の満足に応えられず、信頼を失っているといいたいようだ。先の現象は「自民党に不満だが、民主党には政権担当能力が無いことが分かった以上それにも不満、結局投票先が見当たらない」という閉塞感の表れなのかもしれない。そして先の大学院教授が「(争点を示せずに)投票率が低いのは有権者のせいというのは政党の責任放棄だ」とも言っている。勿論政党にも責任は大いにある。しかし、誤解を承知であえて言わせてもらうと、「その実態に腹を立ててもいいから、ぜひ投票に行ってほしい。投票先が無いなら、候補者に意見する。それがダメなら新たな候補者を探す。それもダメなら自ら立候補する。など様々な政治参加の方法があるはず。諦めないで政治参加の方法をとってほしい。」

政党にばかり責任を押しつけるのではなく、自ら政治に参画するよう促すのも新聞社の役割ではないだろうか。

そして、なぜ争点が明確ではなかったのか、そこも考えたい・・・・・