昨今、PTAの自由加入の是非が話題となっている。そんな中、読者の声で、PTAの役員になって先生方の熱心な姿を見てみてやる気と楽しみ持てたと伝えている。掲載を決めた新聞社も、「いい話」と思ったのだろうか。
 私も永年PTAに関わっているが「やらされる」なんて考えたこともない。(ひょっとしたら初めての時の気持ちを忘れてしまったということはあるかもしれないが…)
 ものごとは「やらされている」と思うと苦痛を伴うが、それは自ら招いた環境であり、それを認めるも変えるのも自分の責任と考えると、自ずと答は導きだされるのだと私は考える。
 選挙だって同じだ。無投票がいけないと思うのならなぜ自ら汗を流して改善をしないのか。批判だけなら誰でもできる。執筆した記者さんにほんの少しでも主体的なそして一人の市民としての目線があったなら、表現はちがっただろうと感じて?る。
 21日、ある町長選挙が告示された。初当選から二期連続無投票の現職と新人の一騎討ち。新人候補は無投票当選は避けるべきだとの考えが大きな出馬要因とか。そのことはすばらしいことだ。大いに賛辞を送りたい。
 「誰かがやってくれる」ではなく、「文句が言いたいのなら自ら行動する」主体的に物事を考えるとはこういうことなのだと私は思っている。

北海道議会議員
藤沢すみお