千歳市議会選挙が定数ちょうどの立候補者となり「無投票」で当選が確定したことを、新聞は「選べない嘆き」、「むなしい」と批判的な論調だ。さらに大学院教授の「市議会は理解されていない」とのコメントも載せている。
 私はこの批判の姿勢こそ「無責任」極まりないと感じる。結果を批判することは容易いが、「なぜそうなったのか」、また「どこがいけないのか?」その視点での論調であるべきだ。報道機関が自ら行う議会や議員、その待遇などへの一方的とも思える批判が議員としてのやりがいに水を差す結果となっているとは言えないだろうか。
 そもそも「選べない」との発想が間違っている。なぜ自ら参画する発想が持てないのか。それがかなわないのなら、せめて誰かを擁立する行動に出るべきではないのか。「結果としての無投票」を悪いことと決めつけることが理解できない。