朝日新聞のコラムで、安部首相の変化について述べている。

 安部首相は第一次政権では、「私たち自民党に…」「私どもの政策に…」と一人称複数形で語ったが、先日の党大会では「私が…判断をいたしました」「必ず私は…日本の農業を守ります。どうか私を信頼して…」と一人称単数形に変貌したという。
 これは「最終判定者」としての「私」であって、安部首相は参議院選を前にタカ派路線を封じているが、時期を見て一気にその路線が突き進むのか、あるいは中長期的な思考なのか、記者として複眼的に権力を見る目が必要だと締め括っている。

 なかなか興味深い話だと私は感じた。この変化がその通りなら、おそらく本人の立ち位置や決定権の責任などに潜む心理状態が起因しているのかもしれない。「お友だち内閣」などと言わせない、総理としての強烈なリーダーシップを発揮する覚悟がそういう言葉に現れているのではないだろうか。大いに結構なことだと私は思う。

 コラムでは「小泉純一郎首相(当時)は三人称単数で『自民党がやれないことをやるのがコイズミだ』として旧体制の破壊者、挑戦者として自分を演じた」とも述べてもいる。
 似たように三人称単数でFacebookやTwitterで呟く議員がいるが、私はそれに違和感を覚えている。
 また、橋下大阪市長が労働組合や国の法律などを敵にまわして「僕は…」を連発するが、そこには市政の責任者として、市民に向かって「責任」を語る姿勢は感じられない。

藤沢すみお