2030年時点の、電力に占める原子力発電の依存率に関する意見聴取会が全国で開かれている。政府は国民的議論を行うとの方針だが、電力関係者による原発推進の意見発表や発言者の人数バランス、質問を受け付けないなど、その手法に関しての批判が相次いでいる。私もそれが「国民的議論」とはほど遠いものと思うが、単純な批判に関して一言述べたい。
 例えば、北海道新聞社悦では(1)「意見がどのように政策決定に反映されるのかの説明がない」、(2)「質疑が認められないのは言いっ放し」と述べているが、それではどのような形の意見聴取会なら国民的議論が可能となるのだろう。もともと全ての意見を反映することが難しいことは、誰にでも想像がつくことだ。それではどのような形での議論が「国民的議論」となり得るのか、そこまで言及するべきではないだろうか。(1)に関しては、「回答をまとめて文章にし公開する」(2)に関しては、そもそも「意見聴取会」なのだから、説明を求めることに無理がある。意見はパブリックコメントで聴取し、それを公開する形が通常行われている手段だと私は考える。
 また、政府の提案する0%、15%、20〜25%の三者択一にすることへの疑問と、中間(15%)に導く手段ではないかとの疑念も指摘されている。しかし見方を変えると「議論を分かりやすくするため」とは考えられないだろうか。
 討論型世論調査の実施を考えているとのことだが、これは大変分かりやすく、意義のある方法だと思うが、時間が必要であり、広く国民にその機会を与え実施することにはなりそうにない。
 結局のところ、どんな方法をとろうと不満は無くならない。意見聴取会に限定せず、シンポジュームや説明会など様々な議論の機会を作り、時間をかける必用があるのではないかと私は考える。そして最後は国会での議論が待っている。