Fecebookに「知り合いからレタスを買ったら青虫がいた。今や品質保証書より確かな気がする。ええもん買うた。」とのコメントがあった。なるほどと思うと同時に、時代の経過による常識の変化を感じた。 私が小さい頃は農薬が当たり前に使われ、その害をとり除くために野菜を洗剤で洗うことが普及していた。当時はコマーシャルでもやっていたし、洗剤のラベルにもちゃんと野菜の絵が描かれていた記憶がある。その後洗剤をきれいに洗い流すべきだと言われるようになり、今では野菜を洗剤で洗う人はほとんどいないのではないだろうか。若い頃、英国人の家庭でホームステイをした時、食器を洗剤で洗った後に水で洗い流さないことに驚いたことがあるが、今でも変わらないのだろうか?
 最近の日本では有機栽培や低農薬に人気が集まる一方で、激しい価格競争の中、ポストハーベスト農薬に浸った輸入農産品が外食産業を中心に幅をきかせている。BSEの発症で米国産牛肉が嫌われる一方で、それを使った牛丼は大流行だ。消費者のニーズ、国民の求めるものって本当に難しい。
 高度成長期のころ「大きいことはいいことだ!」とか、「栄養満点!」の売り文句で食料品が売られていたが、今では「カロリーオフ」が大流行、高いお金を払ってまでカロリーの少ないものを購買している。餓死する人々がいる中で、ちょっと変な気がしないでもない。私たちは便利、効率の良さ、そして体にも良いものを追い求めてきたはずなのに、突き詰めていくと、本来の目的からなぜか遠ざかってしまうことってあるものだ。
 フェイスブックのコメントを見て「原点回帰」のことばを思い浮かべた。3,11以降、私たち日本人は人と人との絆の大切さを知り、多少の不便を強いられても、安全でクリーンなエネルギーの活用を考えるようになった。行き過ぎた経済原理主義から、人間本来の生き方とは何かを見つめ直すヒントを得たような気がする。諸行無常・・・世の中は常に変化をしていて、どんなものも永遠に完璧はあり得ないということなのかもしれない。