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批判と立ち位置

2012年2月27日(月)掲載

 ある日の新聞のコラムからです。
大学で行われた実験で、
A:あなたの年収は400万円で、ほかの人の年収は200万円。のケースと、
B:あなたの年収は800万円だが、ほかのひとの年収は1600万円の場合、
あなたならどちらを選びますかという問いかけ。
 米国の大学では6割近くがAを選択し、日本では7割超がAを選択したということだ。つまり、相手が自分より高給なのは我慢ならない。それなら多少損しても構わないと思う人が多いという心理の裏付けなのだそうだ。
 最近世論の批判を観て私が感じていることと、この結果は一致する。分かりやすいのは公務員批判。公務員の給与に関しては、人事院勧告により客観的にその基準を検証し見直しを行っている。ところが、世論は度重なるマスコミ報道によって「公務員だけが安定して高い給料をもらっている」とのイメージが焼き付いていると思われる。少なくとも、私が就職を考えた時期は、JALや証券会社が人気企業であって、今ほど公務員が人気だったとは思わない。それなのに「今になって・・・」という気持ちでいる公務員は多いのではないだろうか。最近人気の政治は、橋下大阪市長や小泉政権に代表されるように「抵抗勢力との徹底した闘い」という、「勧善懲悪」や「分かりやすさ」がキーワードとなっていように思う。事業仕分けのパフォーマンス、そして大阪市民が橋下市長を選んだ主因は政治姿勢であってその政策ではないこと、郵政選挙で民営化が明確に判断されたにもかかわらず郵政法案改正に関心が集まらないことなどを見ても、その政治手法の導く結果は、無責任な「ぶちこわし」が目的であり、政策を選択するものではないといえる。しかもそれは暴走や独裁をはらむ危なささえはらんでいるだ。
 さらに世論の批判に対して感じることのひとつに、オンブズマンなどによる「あら探し」が当たり前の状態で良いのだろうかとも思うことだ。最近は「性悪説」で物事を見る社会風潮がありるが、例えば議会傍聴で議論の内容を評価するのではなく、わざわざ居眠りをする議員を捜す姿勢に、日本人の持ている「恥の文化」はどこにいったのだろうと感じずにはいられない。
 このコラムはさらにつづきがあり、これは「いじわる」の研究の一環で行われたもので、別の実験で、お金を出せば出すほど恩恵を多く受けるゲームをしたところ、ちゃっかり「ただ乗り」する人がでてくる。するともう一方の人は自分が損をしても相手の足を引っ張る行動にでるという。しかし、それを繰り返すことにより、相手を「出し抜く」よりも協力したほうがお互いのためになることを学ぶというのだ。
 そして締めくくりに、日本の政治がお互いの足を引っ張ることから脱却して、いずれ与党や野党になることを考えた政治を求めている。自民党の支持率が民主党の失政による支持率低下に反比例して伸びないのは、どうやらその辺が最大の原因ではないかとおもわれる。そして有権者は、不確実でも新たな選択肢を求めて新党への期待よ寄せるのかもしれない。

 

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