民意は何にも勝るものだ、しかし、時にはそれが誤った方向へ向かうこともある。沖縄宜野湾市長選挙、元市長の伊波氏の敗選の弁を聞くと、訴えが届かなかった無念さがにじみ出ていた。私は当選した佐喜真氏を支持しているが、なぜか負け選挙を経験した時のことを思い出してしまった。
 それは、世論調査で、3割近くのひとが「民主や自民以外の政党が中心の政権」を望んでいるとされ、その中の半数以上は大阪維新の会を支持しているという結果(朝日新聞)を見たからかもしれない。小泉政権の「郵政解散」では、道内の自民党議員と共に自分が正しいと確信し郵政民営化に反対したものの、世論の流れは全く変えられず、自民党が大勝したにもかかわらず敗北感に包まれた記憶がある。今、あれほど支持されたはずの郵政民営化が修正されようとしている。そして「地方切り捨て」と小泉改革を肯定するひとも多い。私は橋下維新ブームは「郵政解散」と同じ状況だと考えている。その政策を支持するのではなく、既成の勢力を「破壊」するためのうねりであって、その先の方向性は何一つコンセンサスがとられたものはないのだ。長引くデフレ不況の中で日本中に閉塞感が蔓延し、さらに政治不信が追い打ちをかけることで、その不満の矛先が「不確実でも新しい政党」や「何かを壊す」ことに、人々の怒りが向かうのは必然なのかもしれない。

 それにしても、マスコミの取り上げ方の偏向さに驚く、まだ内部で議論も煮詰まっていない政策や憲法改正が前提の政策を論じる無意味さに気が付いていない。声の大きい人に世論が左右される傾向が見て取れる。しかし、これも「民意」のひとつ。疑問符や反対ばかりではなく、民意を取り込む魅力については見習う部分はあるのかもしれない。