平成23年3月、東日本大震災による福島第一原発の事故によって、半径20km圏内の住民が突如圏外への避難を余儀なくされました。さらに半径30km圏内では屋内避難の指示が出されると、生活や仕事の自由も奪われ、圏内で飼われている家畜の給餌ができず動物虐待が行われているとの情報が寄せられました。福島県には相馬野馬追という国の重要無形民族文化材に指定されている行事があり、近隣には多くの馬が飼育されています。馬達の避難先を求める情報が行き交い、日高町では50頭を無償で受け入れるとの申し入れを行ったものの、現場からの断片的な情報では、状況は一向に改善されていないとの声が聞こえてきました。私は馬産地の議員として「何かしたい」との気持ちで、まずは正確な実態を把握するために現地に赴くことにしました。

日程は4月25日から29日、福島県相馬市、南相馬市の他、上京し関係機関への報告と意見交換を行って参りました。現地の調査は26・27日の二日間。NPO法人引退馬協会代表・沼田恭子さん、朝日新聞社記者・有吉正徳さんの同行のもと、相馬市、南相馬市の被災馬の飼養場所および所有者、関係者からの聞き取りを行いました。
事前の情報では、給餌ができず衰弱や餓死が心配される状況があるとのことでしたが、私が訪れた時は概ね一時避難は完了し、飼料も確保されつつあり、すでに最も危険な状況から脱したといえるように思いました。
二日間にわたる各地での実態と聞き取り調査では、それぞれの事情や置かれた環境の違いで、考え方に大きな差があることを感じとりました。「当分はこのままで様子を見たい」「仕事や避難の見通しがたたないので、後の引き取りが条件となると、日高への避難は躊躇せざるを得ない」「最後の最後まで残る覚悟。いざとなったら馬は置いていくしかない」「日高への避難を前向きに考えている」などの意見が聞かれました。長期化した場合の金銭的な不安があり、まずは様子を見たいとの考えが主流だと思います。
次に、目的のひとつだった被災馬の掌握に関しては、馬所有者の横の繋がりが少なく、福島県家畜保険衛生所が行っている伝貧検査の登録情報を元に個別捜査の手法も考えましたが、それ以上に南相馬市役所観光振興課が現状を把握しているように思われます。相馬野馬追を構成する五つの郷(騎馬を組織する地域)の会長と折衝するよりも、市役所を窓口に情報の一元化を図ることがより確実だと私は考えます。ただし、新たな情報を確実に関係者全体に伝えられるのかは疑問で、この点が今後の課題かもしれません。
市では野生化した馬の映像がTVで放映され、さらに野馬追の開催が決定したかのような報道で市役所に苦情が相次いでおり、報道にはかなり神経質になっていました。その時点では20km圏内に3軒28頭の馬が留まっていましたが、近日中に国の許可が下り、放射能汚染の検査をした後に圏外への移動がなされる予定です。
被災直後に不足していた飼料に関しては、多くの馬所有者が収入の不安がある中で、引退馬協会の無償提供はたいへん評価されていました。現在は地元農協でも手に入るようになり、安定した状態に戻りつつあります。

緊急避難の問題が解決することで、被災馬問題は第2の段階へと移ります。それは現在の状況が変化した場合の準備です。30km圏内に避難指示がだされた場合、即座に対応できる体制を整備し現地の混乱を回避する必要があると考えます。さらに今回の調査を通じて、私は日高町の提出した受け入れ条件のハードルを下げられるよう、例えば、長期化や帰りの輸送賃などの負担軽減に、馬産地全体で協力体制をとれるよう呼びかけをしたいと思っています。
二日目に訪れたNさんは15歳から62年間相馬野馬追いに出場していて、人生が野馬追?と思われるほどのひとです。今年の野馬追いに関しての考えを聞いたところ、「これまで戦争で止めたこと(正確には神事は行われていた)以外はずっと続けてきた。何としても今年も実施したい。」と語られ、北海道では経験できない伝統行事への責任の重みが伝わり、これぞ“文化”なのだと実感しました。支援を考える上でも、そのような事情を理解した配慮が必要だともおもいます。

今回の二日間の調査を終えての感想として、事前の情報による想像と現地での実態には乖離があることを感じ、自分の目で見ることの大切さを実感しました。ただし、環境は日を追うごとに変化しており、現地入りまでの1週間で状況が好転したことも事実だと思われます。
まず、報道で見る被災地の状況は最もセンセーショナルな部分が多く、そればかりを見せつけられることで、地域が全てそのような惨状だと思われがちですが、実態は少しニュアンスが違います。南相馬市では、まだ避難所生活をしている人も多いようですが、30km圏の屋内退避の条件が解け、町は徐々に活気を取り戻しつつあります。住民はマスクもせず、ふつうの格好で暮らしています。ただし、多くの小売店はシャッターを閉め、大手コンビニも本部の指示でほとんどが閉店状態です。人通りは少ないものの、市役所の駐車場はいつも満車状態で、自衛隊や消防のクルマも見られます。おそらく復旧関連の人々の動きが多いのだと思われます。震災後の県内の観光への被害が七〇数億円に上るものの、福島市内のホテルがほぼ満室状態なのはそのせいだと言われています。
しかし、海岸に近づくと、突然景色が一変します。津波が押し寄せた場所はがれきが散乱し、クルマが泥の中に埋まり、高圧電線の鉄塔もなぎ倒され、数tもある消波ブロックが水田跡に散りばめられているのです。津波の威力の凄まじさにことばもでませんでした。部分的に重機が動き復旧作業を行っていましたが、復興というにはまだまだ先の話だと感じました。
今回の現地調査の目的である南相馬地域の馬の避難に関しては、緊急を要する問題はほぼ回避したと思われますが、肉用牛や鶏の場合は殺処分されるとの話もあり、それに納得できない農家もいると聞いています。4月28日からはペットの捜索が始まり、初日は6匹の犬猫が保護されたと報道がありました。5日間行われますが、相当数いるとの情報もあります。
また、現地では野馬追用の馬と肥育馬を明確に識別できないボーダーの部分もあり、支援の場合に区別するべきかどうかも思案のしどころですが、引退馬協会は区別をしない考えだと思われます。所有者の仕事も多種多様で、震災後におかれている状況もまちまちであり、今後の収入に不安をもつひとも多く、所有馬の維持、一時避難、譲渡などの選択を迫られる時期がいずれ来るものと思われます。
「馬産地北海道からの支援は何ができるのか」この問いの答を求めての調査だったのですが、とりあえず30km圏内に避難指示が出された場合を想定して、大量の受け入れに関する準備をすること、次に、長期の視点に立って金銭的な問題をどうするのか。馬を譲渡された場合などの対処を検討する必要があるものと思われます。そして、この件は日高町だけに任せるのではなく、広く馬産地として支援をするような体制がとれないのかを検討するべきだと考えます。

最後に、この調査に際して、事前の調査・資料をそろえていただいた水島様、ふるさと案内所緑川所長他スタッフの皆様。そして、2日間の調査に同行、運転をしていただいた、NPO法人引退馬協会沼田様、朝日新聞社有吉様に心からお礼を申し上げます。

調査先:
(4月26日)
相馬中村神社(NPO関連馬避難)、
相馬ポニー牧場(引退馬協会引き取り馬他、ポニーなど)、
南相馬市鹿島区(津波被災地)、
大瀧馬事苑(重賞馬など6頭)、
松浦ライディングセンター(重賞馬など5頭)、
南相馬市役所(観光振興課前田氏対応)、
20km立ち入り禁止地点、
相馬太田神社、
若狭氏宅(メイショウアーム)、
(4月27日)
西護さん(相馬野馬追の歴史などについて)
ホシファーム(功労馬飼養)
相馬馬事公苑(被災馬受け入れ先予定地)
20km立ち入り禁止地点
松浦ライディングセンター(30km圏内で最後まで居残る覚悟)
田中信一郎さん(20km圏内から避難中)